こんにちは、カジです。
前回の探求では、星野リゾートが倒産寸前の旅館を次々と再生させる、見事な「再生の方程式」を解剖しました。しかし、ここで一つの大きな疑問が浮かび上がります。優れたコンセプトやビジネスモデルを設計したとしても、それを実行する「人」が動かなければ、すべては絵に描いた餅です。
特にホテル業界は、人の手によるサービスの質が、顧客満足度を直接左右する世界。では、星野リゾートは、いかにしてスタッフのモチベーションを引き出し、マニュアルに頼らずとも、私たちの心を揺さぶるような驚きと感動の体験を、安定して生み出し続けているのでしょうか。
ITエンジニアである私は、その答えが、彼らのユニークな「組織構造」そのものにあると考えています。それは、一人ひとりのスタッフを、単なる駒ではなく、自律的に思考し、行動する独立したプロセッサとして機能させる、極めて高度な分散型ネットワークのようなシステムでした。
今回は、この驚きを生む組織の心臓部を、じっくりと解剖していきたいと思います。
※この記事に掲載されている挿絵は、内容の理解を助けるためのイメージであり、実在の人物、製品、団体等を示すものではありません。
「さん付け」が支える、フラットな通信プロトコル
星野リゾートの組織文化を象徴するのが、「フラットな組織文化」です。しかし、これは単に風通しが良いという話ではありません。ITの世界で言えば、通信の効率を最大化するための、極めて合理的なプロトコル設計なのです。
その最も象徴的なルールが、CEOから新入社員まで、全員が役職ではなく「〇〇さん」と呼び合う「さん付け文化」です。さらに、総支配人の個室や役職に応じたデスクの大きさといった、物理的な「偉い人信号」も徹底的に排除されています。
なぜ、ここまで徹底するのか。星野代表は「誰が言っているかが重視される議論は機能しない」と語ります。これは、システムのバグ報告をする際に、報告者の役職によってその重要度が変わってしまっては、致命的な欠陥を見逃すことに繋がるのと同じ理屈です。
このフラットな環境が、役職や経験に関係なく、誰もが心理的な安全性を感じながら率直な意見を述べられる土壌となり、組織全体の意思決定の質を高めているのです。
マニュアルなしで動く「自律思考OS」

星野リゾートには、詳細な接客マニュアルが存在しません。これは、多くのサービス業の常識とは真逆です。では、スタッフは何を基準に行動しているのでしょうか。
彼らは、マニュアルの代わりに、2つの重要なパラメータをインプットされています。
- 徹底した情報共有: 顧客満足度や収益性といった、通常は経営層しか見ないような重要情報が、全スタッフに公開されています。
- 明確な境界線: 全社的なビジョンである「リゾート運営の達人」と、各施設固有の明確な「コンセプト」。
これは、ITシステムに例えるなら、処理すべき「データ」(経営情報)と、守るべき「仕様」(ビジョンとコンセプト)を与えることに他なりません。この範囲内であれば、各スタッフは、顧客という千差万別の「リクエスト」に対し、その場で最適な「アウトプット」を自ら考えて実行する権限を与えられています。
その結果、マニュアルからは決して生まれない、独創的なイノベーションが現場から生まれます。例えば「奥入瀬渓流ホテル」では、閑散期だった夏場の魅力をスタッフ自身が議論し、足元の「苔」に新たな価値を見出し、「苔さんぽ」という大人気アクティビティを考案しました。これは、現場のスタッフこそが、顧客に最も近い場所で、最良の答えを導き出せるという哲学の、何よりの証拠です。
総支配人は「立候補制」という名の社内ベンチャー

この組織論の集大成とも言えるのが、総支配人や各部門の責任者を、上からの任命ではなく立候補制で決めるという、驚くべき制度です。
年に2回、立候補者たちは自身が担当したい施設の戦略を全社員の前でプレゼンし、その後の全社員による投票の結果によって、次のリーダーが選ばれます。
ITエンジニアの私は、この仕組みに震えました。これは、社内に**リーダーシップと戦略の「公開市場」**を作り出したようなものです。総支配人は、上司の顔色をうかがうのではなく、自らのビジョンと戦略で、共に働く仲間(社員)からの「支持」を勝ち取らなければなりません。
「あの人の下で働きたい」と思われなければ、優秀なスタッフは集まらず、施設の業績は下がり、自らの評価も下がる。この極めて健全な競争と新陳代謝のメカニズムが、組織が常に最高のリーダーシップを維持するための、強力な自己浄化システムとして機能しているのです。
まとめ
星野リゾートが驚きと感動を生み出し続ける秘密。
それは、徹底してフラットな環境で、スタッフ一人ひとりに**経営者としての「視点(データ)」と行動するための「権限(エンパワーメント)」を与え、その挑戦を公正に評価する「市場(立候補制度)」**を用意することにありました。
彼らは、スタッフを管理するのではなく、スタッフが自走するための「環境」そのものを、緻密に設計していたのです。
さて、今回は驚きを生む「組織」の秘密を解剖しました。次回は、この強力な組織が生み出す体験を、いかにして多様な顧客に届けているのか。星のや、界、リゾナーレ… なぜブランドごとに全く違う体験を提供できるのか、その見事なマルチブランド戦略の設計図に迫ります。
それでは、また次の探求でお会いしましょう。
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