こんにちは、カジです。 私たちの社会には、まるで空気や水のように、そこにあって当たり前の「インフラ」が存在します。しかし、その多くは、誰かの情熱と、緻密な設計思想によって「発明」されたものです。
今回から数回にわたって解剖していくのは、ヤマト運輸が作り上げた「宅急便」という名の、巨大な社会システム。それは、日本の物流、ひいては私たちの生活様式そのものを根底から変えた、壮大な物語です。
ITエンジニアである私の目には、その姿は一つの美しく、そして複雑な「システムアーキテクチャ」として映ります。
第1回となる今回は、まずその原点。すべてが始まった「発明」の瞬間に立ち返り、この巨大なシステムが、いかにして無から生まれたのか、その創世記の物語を紐解いていきたいと思います。
※この記事に掲載されている挿絵は、内容の理解を助けるためのイメージであり、実在の人物、製品、団体等を示すものではありません。
宅急便が生まれる前夜、そこにあった「不便」という巨大な空白

1970年代。もしあなたが、実家にいる親へ荷物を送りたかったら、どうしていたでしょうか。 おそらく、郵便局の窓口へ自分で荷物を持ち込むしかありませんでした。当時の小口荷物配送は、国の事業である「郵便小包」がほぼ独占していたからです。
しかし、このシステムには、今では考えられないような様々な「仕様上の制約」がありました。重さは6kgまで。集荷サービスはなく、自分で郵便局まで運ばなければならない。おまけに、届くまでに3日以上かかるのが普通でした。
これは、システムとして見れば、ユーザー(国民)の利便性よりも、提供者(国)側の都合が優先された、非常に硬直的なアーキテクチャだったと言えるでしょう。個人の生活を豊かにするためのサービスというよりは、あくまで国の業務の一つ、という位置づけだったのです。
多くの人がその「不便」を、仕方ないもの、当たり前のものとして受け入れていました。しかし、その巨大な空白地帯に、新しいシステムの可能性を見出した人物がいました。ヤマト運輸の二代目社長、小倉昌男氏です。
すべての始まりは、顧客の「本音」だった
当時のヤマト運輸は、デパートの配送など、企業間の大口輸送を主力とする会社でした。しかし、オイルショックの煽りを受け、経営は苦境に立たされます。
そんな中、小倉氏は、あるデパートの配送カウンターで、お客さんが「(ヤマトは)どうしてデパートの荷物しか運んでくれないの?」と話しているのを耳にします。それは、個人が荷物を送る際の「不便」を肌で感じた瞬間でした。
彼は気づいたのです。 「企業が荷物を送りたいように、個人も荷物を送りたいはずだ。そこには、まだ誰も手をつけていない巨大な市場(ニーズ)が眠っているのではないか?」
この気づきこそが、後の社会インフラ・システムの「要件定義」の第一歩となりました。「サービスが先、利益は後」という彼の哲学のもと、「個人のための、便利で安心な荷物輸送サービス」という、新しいシステムの開発プロジェクトが、静かに、しかし熱く始動したのです。
「不可能」を「仕様」に変えた、たった一枚の設計図

「電話一本で集荷」「全国どこへでも翌日配達」「明確な料金体系」「荷物の追跡も可能」… 小倉氏が思い描いたサービスの全体像は、あまりに革命的でした。当時の常識で考えれば、それは「不可能」の塊です。
しかし、エンジニアリングの世界では、時に「不可能だ」と言われることこそが、最も美しいソリューションへの入り口だったりします。彼は、この挑戦的な目標を、新しいシステムの「基本仕様」として定義しました。
そして、その核心にあったのが、「パーソナル(個人)」「ドア・ツー・ドア」「オール・ウエザー(24時間365日)」といった、顧客視点に貫かれたコンセプトでした。
しかし、この壮大な設計図を実現させるためには、避けて通れない巨大な壁がありました。運輸省(当時)が管轄する「路線免許」という、法律と規制の壁です。
当時の法律では、トラックが決められた路線(国道など)を走って荷物を運ぶには、国の許可が必要でした。そして、個人宅をきめ細かく回るような新しいサービスの免許など、前例がありません。申請はことごとく却下され、周囲からは「キツネにつままれている」とまで言われたそうです。
これは、古いOSの支配下に、全く新しい概念のアプリケーションをインストールしようとするようなものです。当然、OSは「許可されていない操作です」とエラーを返してきます。
しかし、小倉氏は諦めませんでした。「国民の利便性に繋がるサービスが、なぜ認められないのか」という純粋な論理と、社会をより良くするという信念を武器に、2年にもわたる長い戦いを続けたのです。
そしてついに、1976年1月。「宅急便」は認可されます。 それは、一人の男の情熱が、国の巨大なシステムに、新しいAPI(接続規格)をこじ開けた、歴史的な瞬間でした。
こうして、私たちの生活を根底から変えることになる社会インフラ・システムは、産声を上げたのです。
しかし、設計図が完成し、OSからのインストール許可が出ただけでは、システムは動きません。次回は、この壮大な構想を、いかにして「セールスドライバー」という人間中心のネットワークと、「NEKOシステム」という情報技術によって現実のものとしていったのか、その「実装」の物語を解き明かしていきたいと思います。


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